MG ∀(ターンエー)ガンダム

バンダイ 1/100プラスチックモデルキット

価格 3990円(税込み)

MG ∀(ターンエー)ガンダム
MG100体目はこのガンダムだ!

Road to 100
1995年にスタートしたガンプラマスターグレードシリーズの歴史も、気づけば早いもので12年経過し、2006年の終わりごろから100番目のキットは何なのかということが、話題になって言った。そんな中で、2007年4月には97番目のキットとしてMG ザクver.2.0が発表された。これは、初期の頃に発売されたザクのリメイク版のキットで、スライド金型を使ったパイプ造型や、最近の開発系譜解釈に基づいたフレームを再現。可動範囲も大幅に引き上げられ、傑作キットであった。
さらに、98番目のキットとして、このキットのカラーバリエーションのシャア専用ザク ver.2.0も発売された。

また、99番目のキットとしてシャア専用ゲルググ ver.2.0が発売された。これも1997年に発売されたMGシャア専用ゲルググのキットのリメイク版で、発売当初不満に思われていた部分が改善された。

ここまでのキット布陣が発表されたとき、多くの人は100番目のキットとしてMG ガンダムver.2.0を出すだろうと予想していただろう。しかし、この後になってMG ガンダム Ver.ONE YEAR WAR 0079 アニメーションカラーのキット発売が発表され、この予想は覆ることになる。

他にも、大穴としてデスティニーガンダムが予想されていた(注1)が、蓋を開けてみると、バンダイ的にはまさに黒歴史(注2)のはずのあのガンダムであった。
注1 100番目にはなれなかったが、101番目のマスターグレードのキットとして10月発売が決定した。

注2 ここでは封印しておきたい、忌み嫌われた記憶のこと。
大打撃の黒歴史(商業的な意味で)
MG100番目に選ばれたのは、1999年にガンダム20周年記念作として富野監督が手がけた∀(ターンエー)ガンダムであった。この作品は、ガンダムという名前を取っ払って見た場合は、非常に面白い作品である。ロボット物にありがちな世界観ではなく、どこか牧歌的でのどかな独特な雰囲気の中で物語りは展開して行き、昔の富野作品と違ってあまり残酷な人の死に方はせず、あくまでもストーリーや戦闘の駆け引き、ドラマで魅せるといった作品である。まさに、富野監督の面目躍如と言ってもよい作品だろう。

しかし、バンダイ的には黒歴史というのは、プラモデルが全く売れなかったのである。まず、この作品のMSのデザインは、スタートレックなどで有名なアメリカのメカデザイナー、シド=ミードが中心となって手がけている。これを売りにしているのだが、日本的な格好良さとアメリカ的な格好良さというのが一致しておらず、デザインは非常にユニークなのだが格好いいかというと、そうではないというメカばかりが登場していたのである。
後でじっくり検証するが、主役のターンエーガンダムのデザイン画を見ただけで格好良いと思える人は、そうはいないだろう。このような背景があってか、プラモデルは全く売れずに小売店は苦しめられるのであった。

「アニメを作る」ということは非常に難しいということが、この「∀ガンダム」から伺える。すなわち、良い作品と売れる作品というのは、必ずしも一致しないのだ。富野監督らしく、世界観の構築は目を見張るものがあり、メカのアクションもバンクだらけのガンダムSEEDやSEED DESTINYなど目じゃないくらいに冴え渡っていた。
しかし、肝心のデザインで敬遠する人が多く、誰もプラモデルを買おうとは思わなかったのだろう。

逆に潔くキャラクターを前面に押し出したSEEDやSEED DESTINYが売れたのは、必然といえる。すなわち、SEEDは売れる作品をつくろうと考えられて作られ、結果成功したのである。ガンダムというネームバリューと、さらにガンダムを知らない世代に訴えたキャラクターデザインとメカニックデザイン。これらがいかにストーリーが破綻していようとも、バンクや総集編を多用した作品であろうとも、「売れる」作品にしたのではないかと、私は考える。作品性が、ビジュアルの力に負けてしまうというのは残念至極であるが、これが現実なのだろう。(そもそも、「作品性」と一口に言っても、観点が変われば良くも悪くもなる。)

富野監督は、昔からアニメという媒体を用いた「作品」を作るということを目指しており、商業中心のバンダイとは何度も衝突を繰り広げた。しかし、売れなければアニメは作れないし、かといってファンに媚びるようでは「作品」ではない。この点が、クリエイターとしては難しいところであろう。

話はそれるが、衛星放送で初代ガンダムの映画が長時間放送されていた時の45分間のインタビューで、監督がこのようなことを言っている。

ファンが好きなのは当たり前なんですよ。ボクが相手しているのは世間なんですから。(中略)むしろ、アニメファンというのが盛り上がったという物は、世間からは無視される危険なものとしか見えなかったですもの。だから、ファンというものを眼中に置かなかった人間でした。それは、ひょっとしたら現在でもそうかも。

ファンが見るのはいけないと、言ってはいないんですよ。ファンがいてこそ、商売が成り立ってありがたいんですけど、ファンの評価はあくまでもファンの評価。それは世間の評価ではないんです。(中略)(ガンダムは)映画になったといわれるけど、それはファンが見に来ているのであって世間が見に来ているわけではない。
」(『まるごと!機動戦士ガンダム 富野、吠える!』より 一部要約)

富野監督は、決してファンを否定しているわけではなく、自分が相手をしているのは世間であるということである。子供向けであったアニメ初であっても、普段アニメを見ないような人々を驚かせるような作品を作ろうと昔から考えていたそうだ。また、監督はこのようにも言っている。

(ガンダムが社会現象を起こしたというのは)嘘です。社会現象って言いたい人は、自分がファンだったために、かつてそんな盛り上がりがあったんだよと思いたいの。僕にしたら、世間の盛り上がりではなくて、お前ら程度の盛り上がりなんだから、それは盛り上がりではありません。盛り上がりってのは、最低今のスターウォーズくらいに言われて盛り上がりなんです。」(『まるごと!機動戦士ガンダム 富野、吠える!』より 一部要約)

この言葉は、昨今のいわゆる、萌えブームにも当てはまるのではと思う。ブームというが、それはファンが騒いでいる程度ではないか。世間からはどう思われているかというと、実際は冷たい目線で見られているのが現実であろう。反対意見もあるかもしれないが、ファンはこの点を一度自覚するべきだろう。

このような背景を考慮に入れて、この言葉を聞くと監督が業界に対しての危機感を持っているのではないのではないか。私は海外で日本のアニメが実際に人々の心をつかんでいるのを見てきたが、同時にアニメを気に入った若者が将来、クリエイターになって日本のアニメを追い越すようなものを作るのではないかということも同時に感じた。ウカウカしていると、日本は追い抜かれるかもとも感じた。日本のアニメーションという文化は非常によいものであるが、それを腐らせてしまうのか、もっと輝かせるのかは、その文化を構成する人間たちにかかっている。そういう意味では、監督のこの言葉は重い。

どんな時代でも、ボルジャーノンは大活躍してますぜ!
この作品では、∀という見慣れない記号が使われているが、これは数学記号で「すべての」という意味である。そして、この作品中ではこの記号を「ターンエー」と読む。意味は「Aに戻る」ということで、「最初に戻る」という意味である。

これらが意味するものは、「すべてを総括し、かつ原点回帰する」ということである。つまり、ガンダムの世界観を総括し、かつ原点に戻った作品を作るということ。このコンセプトの元、∀ガンダムの世界観とメカデザインが決められていく。

世界観は、宇宙世紀の時代から何千年も未来の話である。はるか未来の話なのだが、地球上の人類は自分たちがかつて築き上げた文明を忘れ、19世紀の文明レベルに逆戻りしていた。また、月にはムーンレイスと呼ばれるかつて宇宙に住んでいた人々の末裔が暮らしている。月側の技術は、SFらしい科学力を誇り、地球への帰還を計画していた。また、宇宙世紀などの時代は、黒歴史と呼ばれ、忌み嫌うべき記憶として封印されている。

すべてのガンダムを総括するということで、世界観が違うはずの平成ガンダムシリーズも同一の時間軸上の別の時代の話とされ、やはり黒歴史として封印されている。一応、ガンダムと名がついているので、後に放送されたSEEDのC.Eや、これから放送される機動戦士ガンダム00(ダブルオー)の西暦の世界も含まれていると考えてよいだろう。

物語後半では、月に封印された黒歴史の映像が投影され、白日の下に晒された。宇宙世紀におけるコロニー落としの映像やガンダムとザクの初めての戦いが流れる一方で、ガンダムXにおけるサテライトキャノンでのコロニー落としが流れ、地球がリングになっていたり、エンドレスワルツを踊っていたりと、世界観の違うガンダムの作品のオンパレード。いろんな意味で笑いがこみ上げてくるが、富野監督は「これが、ガンダムの歴史なのだ」と、有無を言わさず力技で総括したということだ。

すべてのガンダムが総括されているということで、各時代の特徴的なアイテムやMSが登場している。たとえば、宇宙世紀のIフィールドは、さらに発展してMSの駆動系もつかさどるようになり、Gガンダム時代のDG細胞はナノマシンに発展し、MSの自己修復を行える。地球で発掘されたMSはザクそのままで、ボルジャーノンと呼ばれ使用されている。今までのガンダムの設定が見事にいかされており、単に羅列しているSEEDとは大違いである。

ガンダムには、お髭がありますか?ありません!(ある奴もいます)
ターンエーガンダムのデザインは、発表された当初から物議がかもされていた。それは、もう平成ガンダムの比ではない。翼が生えていたり、金ぴかになったりするのが可愛くなるくらい、奇抜すぎるデザインなのだ。では、そのデザインを見てみよう。

これがターンエーガンダムだ!
衝撃かつ笑撃のデザイン

背景知識なしでそのままの∀ガンダムの姿を見せたときに「格好良いか?」と聞いたら、ほぼ間違いなくノーの答えが返ってくるであろう。首から下は格好いいかもしれないが、顔を見てしまったら最後である。

ターンエーガンダムの顔
立派なお髭ですこと!

後にも先にも、まじめな顔をしてヒゲをはやしたロボットがいたであろうか?これがガンダムというのだから、衝撃かつ笑撃である。

デザインコンセプトは原点回帰をしつつ、新しいことをやるということで、シンプルかつ奇抜なデザインとなったのであるが、これは好みが分かれてしまうのは当然であろう。シド=ミードによると、機能性を追求した結果、このシンプルなデザインとなったとのことであるが、我々の考えているステレオタイプな格好良さとはかけ離れている。富野監督は、キットの説明書のコメントで「リアリティを徹底的に追求すると、キャラクター性が損なわれる」と言っており、これがメカファンには受け付けられなかったのではと言っていたが、根本的な原因がありそうなものだが・・・。

そもそも格好良いといっても、何が格好良くてそうでないのかということを具体的に説明するのは、非常に難しい問題である。最近のガンダムは、翼を生やしたり武器を持たせたりして、わかりやすい「格好良さ」を出しているが、∀ガンダムの場合は非常にわかりにくい。

ただ、機能面を追及した結果シンプルなデザインになったという点だけは、実際にプラモデルを作っていると同意できる。我々が格好いいと思っているSEEDのガンダムやWのガンダムのプラモデルを作ったときの問題で、地面に足をつけて立たせた場合、バランスが狂うとすぐにこけてしまうのだ。あの出来の良いMG ストライクフリーダムガンダムですらすぐにこけてしまい、スタンドがなくてはならないのだ。

他のガンダムとの比較
周りの2体は立たせると、後ろにのけぞります

これは、バックパックで個性を出そうとした弊害で、20メートルの何トンの重さもある本物のガンダムが、立っていられるのかという疑問が沸き起こる。その点では、∀ガンダムは背中がすっきりしているので、普通に地に足をつけて立っていられるのだ。もし本当に巨大ロボットを建造するのならば、少なくとも大型のバックパックは付かないだろうな!

先にも述べた、「リアルなデザインを追求するとキャラクター性が薄れてしまう」という富野監督の考察は、あながち的外れではないことがわかる。キャラクター性があるから格好いいのか、奇抜な誰もやらないデザインだからよいのかというのは簡単に答えは出せない。

格好いいからと言って、そのロボットが好きなのかというと、必ずしもそうではない。また、作品性と同じく観点が変われば格好良さの基準も変わる。だから、好みに関しては人それぞれでよいだろう。ターンエーガンダムが好きだという人がいても、格好いいという人がいても、その人の感性を否定することは出来ない。ターンエーガンダムは、ロボットのデザインとして不可欠なのは「格好良さ」なのか、また格好良さとは何なのかという疑問を我々に投げかけているのではないだろうか。

ただ少なくとも言えるのは、これが商業的にはこけている、プラモデルが売れなかったということである・・・。少なくとも一般受けするのかというと、そうではないということが、すでに証明されてしまっている。だから、SEEDのMSのようなわかりやすいステレオタイプな「格好良い」記号が集合していったデザインに傾いていったことに、合点は行く。

月に吠える
∀ガンダムの世界は、宇宙世紀の時代から10000年後の正暦(C.C)2345年を舞台にしている。2年前、ムーンレイスは地球環境探査を目的として地球に数人の少年少女を降下させていた。その中の一人の少年、ロラン=セアックは、川辺でおぼれているところを、たまたま水浴びを楽しんでいたハイム家の令嬢、キエル=ハイムソシエ=ハイムに助けられ、そのまま運転手として雇われることになる。

地球人とともに2年間生活し、すっかり地球の生活になじんだロランは地元で行われる成人式にソシエとともに参加するになった。成人式の儀式が執り行われているさなか、ムーンレイスの地球降下作戦が始まってしまう。突然の来訪に驚いた地球人は、航空機で応戦するものの、ムーンレイスのMSウォドムには何の力にもならなかった。1機のウォドムが放ったビーム砲に反応し、成人式の祭壇の石像のホワイトドールがひび割れていき、1機の白いMSが現れた。それこそが、∀ガンダムだったのである。

∀ガンダムは、ロランの制止も聞かずに手持ちのビームライフルを放った。ここに地球と月との間の衝突の火蓋が気って落とされたのである。

劇中の∀ガンダムは、兵器というよりは「道具」という位置づけであった。今までモビルスーツで湯を沸かしたことはあった(注3)が、洗濯機の代わりに使われたのは∀ガンダムが初めてだろう。しかも、洗濯が終った後は物干し竿としても使用されたりもした。他にも、食料に困る地球に降下したムーンレイスの民間人に牛を運んだり、旧世紀の核ミサイルを隠すのに使用されたりと、兵器という枠にとらわれない使用方法が劇中の中で提示された。∀ガンダムの魅力の一つは、こういったMSの生活に密着した使用方法にあるといっても良い。
注3 機動戦士ガンダム第08MS小隊で、ビームサーベルの出力を最低にして雪を溶かして即席の温泉を作っていた。
MGではフレームを使うと、誰が決めたんだ
MG100体目の記念すべきキットとして発売された∀ガンダムは、シド=ミードのデザイン画を生かしながら、カトキハジメの手によってリファインされた。初回付録のガンプラ∀という小冊子では「日米工学デザインを絵空事に持ち込んじまった対決」と言われていたが、100体目の記念すべきキットとして緻密な検討を重ねられ、シド=ミードのデザイン思想を受け継いだデザインとギミックが組み込まれている。

MG ∀ガンダム 前 MG ∀ガンダム 後ろ
MG ∀ガンダム全身
平面を張り合わせたようなデザインを見事に再現

普通のロボットのデザインは、普通はブロックが積み重ねられたようになってしまうが、∀ガンダムの場合は平面を張り合わせたような感じになっている。これが従来のMSのデザインより一線を画すものにしているのがわかる。MGでは、最新技術を惜しみなく投入して、この特徴的なデザインを再現している。

ただ、シド=ミードデザインの∀ガンダムにしようとしたときに、どうしてもヒゲの角度が気になる。箱に描かれているシド=ミードのデザインのヒゲと比べると、ヒゲの開き方がもう少し狭いのだ。ヒゲを自作するのは、非常に難易度の高い作業となりそうだ。

可動範囲も、MGらしく申し分がない。膝の部分は二重関節が採用され非常にスムーズに可動する。さらに足首付近の装甲下にも関節が用意されており、劇中のさながらのポーズを取らせることが可能である。
肩のアーマーは前後で分割されており、腕の可動を妨げないように設計されている。手首は、MG初の五指可動を実現した。しかし、その弊害で少々組みにくくなっている。しかも、筆者は右腕の小指を組み立てている最中になくしてしまった。これまでは、中指から小指のパーツが一体になっており、切り離す加工が必要となっていたが、そのほうがありがたかったものである。尚、武器の保持はジョイントパーツのおかげで問題ない。

最近のMGでは必ず再現される内部フレームであるが、今回の∀ガンダムに限り、全く再現されていない。これは、∀ガンダムがIフィールド・ビーム・ドライブ(IFBD)によって駆動しているためである。この機構により、宇宙・地上で抜群の運動性能を誇り、さらに内部のアクチュエーターやジェネレーターを大幅に小型化し、結果的に内部機構が存在しなくなった。ということで、MG ∀ガンダムではフレームにとらわれることなく、スマートでシンプルなデザインを生み出すことに成功している。

また、∀ガンダムの脚の裏に配置されている板は、スラスターベーンでここから推力を得て空中を飛び回ることが出来る。起動時は土砂が詰まっていて使用出来なかったが、マグマに落ちそうになったときに起動した。キットでは、脚を曲げると連動してスラスターが動くギミックが組み込まれている。

主な武装は、ガンダムのスタンダードらしくビームライフルとビームサーベルである。ビームライフルは最初に撃った時、熱に耐えられずに溶けて使用不能になったのだが、マウンテンサイクルの発掘が進むにつれ予備のライフルが見つかり、主武装に返り咲いた。
キットでは、特徴的なビームライフルの形を再現、さらにスライド機構が設けられていて、フル出力状態にすることが可能である。

ビームライフル ビームライフル(フル出力状態)
ビームライフル各形態
内部のグリップも引き出すことが出来る

惜しむらしくは、スライドさせる部分の装甲が取れやすいことだろうか。この部分は、接着剤などでテンションを上げておいたほうが良いだろう。

劇中のビームサーベルは、従来のものと比べて格段に細くなっている。キットのビームサーベルの刃も、他のキットのものと比べて短く細くなっている。それでも、切断能力は衰えておらず、調整次第では刀剣以外の形にすることも可能。尚、ビームサーベルは肩の後方部分のラックにスライドさせて収納する。

ビームサーベル
ビームサーベル
従来のものよりも細くて短いです

シールドとビームサーベルは、別パーツを使って背中に取り付けておくことが可能である。このパーツは邪魔と感じるのならば取り外してもよいだろう。尚、別パーツを取り付けるためのジョイントは肩アーマーの後ろの部分で隠してあるデザインである。

背中にシールドと盾を取り付けた図 背中にシールドと盾を取り付けた図
他のガンダムたちと違って、縦に取り付けます

また、初代ガンダムを意識してか、ガンダムハンマーが付属する。これはホワイトドールの祭壇の地下回廊に眠っていたもので、投げたときにブースターで加速する上にトゲを飛ばすことが可能である。
キットでは鎖のパーツがすでに完成した状態で封入されており、これに鎖つなぎを持ち手とハンマーの部分に取り付ける仕組みになっている。 これにより、非常にストレスを感じることなく組むことが可能となっている。

ガンダムハンマー
ガンダムハンマー
振り回すことは、さすがに出来ません

バンダイアクションスタンドにも取り付けることが出来る。ただし、今回は∀の股間の形状が、従来のキットとは違うために、マルチパーパスサイロを押し出す特殊パーツを背中差し込んで、背中に取り付けることになっている。

スタンドへの取り付け スタンド使用例
背中にジョイントで取り付けるので、固定はバッチリ

尚、今回のキットではポリキャップは使用されておらず、骨の部分はすべてABSである。しかし、F91のときのような組み難さは全く感じることなく、サクサク作ることが出来る。手首の部分で筆者は失敗したが、組みやすさは申し分ないだろう。

機械は人助けの道具にもなります。戦うばかりじゃありませんよ。
ここからは、∀ガンダムならではのギミックを紹介しよう。
先にも述べたように、∀ガンダムはIFBDで駆動しているので、内部機構が存在しない。胴体はガランドウになっていて、戦闘時はミサイルが収納されている。

ミサイル
ミサイルのハッチも開閉する

これは、マルチパーパスサイロと呼ばれ状況に応じてさまざまな武装を使用できるように設計されたものといわれている。マルチパーパスサイロのハッチは、当然差し替えなしで開くことが出来る。ハッチを閉じたときにアーマーがちゃんと平面になるように設計されているので、そのままでは開かせにくい。開く際は、専用パーツを用いてサイロを押し出さないと、ハッチが壊れてしまうので注意しよう。特に、真ん中のハッチのヒンジは非常に細いので破損させないようにしよう。

劇中では、このマルチパーパスサイロの中に牛を収納していたこともある。この再現のために、レーザー加工で作られた牛が付属する。

ローラの牛
牛の収納ギミック
レーザー加工で作ったのは牛!
技術の無駄遣い?

この牛なのだが、収納ギミックを考えたためか、牛というより仔牛程度の大きさである。

ロランとの比較
ロランとの比較図
かなり小柄な牛になっている

このように、どこかのどかな運用方法をされる∀ガンダムであるが、実は恐ろしい能力が隠されていた。実は、∀ガンダムは黒歴史の文明を埋葬した機体だったのである。月光蝶システムと呼ばれる、∀ガンダム最大の武装はナノマシンを撒き散らし文明の産物を砂に変えてしまう。

キットでは、ナノマシンの射出口の開閉ギミックを再現している。こちらも細かいヒンジを使っているので、少々開きにくいが・・・。

ナノマシン射出口
ナノマシン射出口
平面的なデザインを殺さないようになっているのがよいところ
ロールオーバーで画像が変わります

PET素材などを使って、エフェクトパーツをつけてほしかったものだが、劇中の月光蝶の翼は恐ろしく大きいので付属できなかったのだろう。

ここに人が乗れると、誰も信じてた
説明書の富野監督の弁によると、顔のアンテナがヒゲ状になったのは、表面積を小さくするためで、コクピットが股間にあるのはパイロットにとって、異質なものの出入りを邪魔しないためにあるそうだ。後者のコメントは確かに的を得ていて、劇中ではシートがそのまま下にエレベーターのように下がっていって、非常に乗り降りがしやすくなっている。確かに、この位置にコクピットを持ってきたのは機能的である。

この股間のコクピットは、ふんどしパーツがウイングのコアファイターとなって脱出装置にもなる。キットでも当然このギミックは再現している。

コアファイター
コアファイター
コクピットが完全に水平になっていないのが少々気になる

しかし、シド=ミードはデザインを起こすときに大きなポカを犯していた。それは、明らかにコクピットの部分が小さすぎるのである。実際にコアファイターと1/100ロランを並べてみるとその差は歴然である。

ロランとコアファイター
ロラン「こんなの乗れませんよー」
ソシエ「ロランの意気地なし!乗りなさい!!」

中にいるロランが、何とおよそ半分程度になっているのだ。シド=ミードのデザインを、忠実に再現してしまうと、このように人が乗り込めないことがわかる。コクピットにするなら、もっとふんどしのキャノピーとその下の部分が大きく太くなっていなければならないのだ。機能美を追求した割りには、あまりにお粗末なミスである。

このようなミスはあるものの、一つのガンプラとしてみた場合は、非常に組みやすい良キットといえる。デザインを受け付けない人もいるかもしれないが、MG100体記念に一ついかがだろうか?

風が、吹いた(もどる)